与えるとは自己犠牲ではなく生み出すこと
こんばんは、かろりぃです。
昨日のメールレターで、
「愛」についての話が出てきました。
(→http://carory.com/2135.html)
愛は、受動的ではなくて
能動的なものである。
ということで、
「相手を理解しようとする」
のが愛情をもって接する一歩なのです。
という話をしました。
そのためには、
感情に染められないように
頭はクールでいないといけない。
だけど、心を燃やして
真剣に考えようとする熱さも必要。
なので、本当に愛情をもって人に接するには、
頭はクールに身体は熱くしておくんですね。
今日は、もう一つ。
前回出てきた
『愛するということ』の中に書いてあった、
「与える」についての話。
ざっくり内容を紹介すると、
こんなことが書いてあります。
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愛とは、なによりも与えること。
与えるとはどういうものか?
与えるについてのよくある誤解は、
・なにかを諦めること
・剥ぎ取られること
・犠牲にすること
こう思い込むことである。
そう思っている人たちは、
与える=貧しくなる、
と思い、与えるのを嫌がる。
だけどそれは誤解で、
与えるという行為は、
自分の生命力の表現なのである。
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なにを与えるのかについては、
カタチあるものでもカタチないものでも
どちらにも当てはまります。
相手を理解しようとする、
というのはカタチないものですね。
さてさて、
与えることの大切さについて話すと
よく出てくる声があります。
それは、
「人に与えられる人になれるよう、
頑張ろうと思います!」
ですが、
「人に与えられる人」は、
なるものではなくて自覚するものなんですね。
そのためにやるのが、
「与える」という行動。
人になにかを与えるからこそ、
「自分は与えられる人間なんだ」
と自覚できてセルフイメージが高まり、
生きる意味を実感して幸せを感じるようになるのです。
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与える、というのは、
エネルギーを消費する、というよりは
むしろ自分の存在を世に生み出すこと。
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「居場所がない」
これは人間にとってものすごい苦痛です。
だけど、与えるという行動は
居場所を生み出します。
だからこそ、与えるのは大切ですし、
その根幹にある愛(広い意味の)は
身に付けるべき資質なのです。
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明日の21時に公開予定の新企画は、
この辺りについてガッツリ学んでいく
真夏の強化合宿的な企画です。
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今日の話を「面白い!」と思ったなら、
楽しんでいただける企画だと思います。
明日の21時、お楽しみに!
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